戦国の「甲斐の虎」武田信玄は、治水・利水でも名を残しました。山梨県甲斐市の信玄堤を、MAPRISEと同じ国土地理院等のデータによる陰影起伏図・色分け標高図・明治期の低湿地・土地利用・洪水浸水想定・航空写真で見比べ、堤が守ってきた土地のかたちを探します。
こんにちは、MAPRISE開発チームです。前回は備中高松城の水攻めを地図で確かめました。今回も戦国時代から、水と土地の話です。主役は「甲斐の虎」こと武田信玄と、山梨県甲斐市竜王にある信玄堤です。
強い武士団を支えるには、それを養える国力が欠かせません。信玄は合戦での強さだけでなく、川と向き合う治水・利水でも大きな足跡を残したとされています。その代表が信玄堤です。MAPRISEと同じ国土地理院などのデータを使い、陰影起伏図、色分け標高図、明治期の低湿地、土地利用、洪水浸水想定、航空写真を重ねて、400年以上前の仕事を読み解いてみました。
戦国の甲斐と、暴れる川
甲斐国は、山に囲まれた甲府盆地を中心とする国でした。盆地には急流が流れ込み、とくに釜無川と、南アルプスから扇状地を下る御勅使川は、洪水のたびに流れを変える暴れ川でした。国土交通省の資料も、釜無川を、急流河川が合流する「三川落合い」の難所のひとつとして紹介しています。
信玄は1541年に家督を継ぎ、のちに信濃へ進出し、川中島で上杉謙信と戦いました(1553〜64年)。戦を続けるには、兵糧を生み出す田畑と、そこで暮らす人々が必要です。盆地の田畑と集落を洪水から守り、水を恵みとして使えるようにすることは、国力に直結する課題だったと考えられます。
信玄堤とは
信玄堤は、釜無川の氾濫を治めるために信玄が築いたとされる堤で、竜王(甲斐市)にあります。史料では当初「竜王の川除」と呼ばれていました。甲斐市の説明では、17年の歳月と新しい治水の構想をかけて、1560年(永禄3年)に完成したといわれています。
ただし、着工年や工期は、史料から確定できていません。天文11年(1542年)の大洪水が契機になったという説明もありますが、これは伝承の色が濃いものと受け止めています。1560年は、信玄堤に関する最古の文書(信玄の印判状)が出される頃で、その時点では整備が進んでいたとみられます。
信玄堤は、堤防ひとつを指すだけではありません。甲斐市の説明では、次のような一連の仕組みで、洪水の力を段階的に弱める構想だったとされています。
- 石積出しで、御勅使川の流れを制御する
- 将棋頭と呼ばれる石積みで流れを分け、勢いを弱める
- 自然の岸壁「高岩」に水流をぶつけて、さらに勢いを削ぐ
- 高岩の下流の左岸に堤防(信玄堤)を築く
- 万一堤が切れても、霞堤の開口部から氾濫水を川へ戻す
国土交通省の資料には、堤防の近くに樹木を植えること、堤を守る集落の税を免除すること、水防の大切さを伝えるために御幸祭を奨励したことも、信玄の施策として挙げられています。ハードの工事だけでなく、人の仕組みまで含めた総合的な治水だったことが分かります。
このうち、将棋頭と石積出しを含む御勅使川旧堤防は、平成15年(2003年)に国の史跡に指定されています(韮崎市・南アルプス市)。山梨県の文化財の説明では、これらは近世・近代に、扇状地の集落や耕地を守る治水・利水の施設としても働いたとされています。江戸時代に開かれた用水路「徳島堰」の水門を守る桝形堤防も、追加指定されています。
地図で見る:扇状地から竜王へ
まず、信玄堤のある竜王のあたりを、少し引いた範囲で見ます。左が陰影起伏図、右が5mごとに色分けした標高図です。

標高図では、西(左)の山地側が暖色、東(右)の釜無川沿いが寒色で、標高は400m近くから約285mまで、なだらかに下っています。この大きな傾きが、御勅使川が作った扇状地だと考えられます。陰影起伏図では、扇状地の面に、古い川筋の跡が筋状に残っているのが見えます。
急な扇状地を下ってきた水は、勢いを保ったまま釜無川にぶつかり、竜王の手前で盆地の平地へ出ます。信玄の治水は、この水の力をどこで受け、どこで弱めるかを考えたものだと、地形から読めるように感じました。
竜王の堤を拡大する
次に、竜王の信玄堤付近を拡大します。標高は、1mごとに色分けしました。

陰影起伏図では、釜無川の東岸に沿って、まっすぐに近い高まりが続いているのが見えます。標高図では、その高まりが暖色の細い帯になり、東側の平地は黄色から緑、青へと少しずつ低くなっていきます。
標高データから概算すると、この一帯の堤の上は、すぐ東側の平地より、おおむね2〜5mほど高くなっています。川から東へ約700m進むと、地面は4〜5mほど下がります。場所によっては、川底が堤の外の平地より高いところを流れている、ということになります。国土地理院の5mメッシュ標高から読み取った概数で、実際の高さを保証するものではありません。
なお、ここに見えているのは、現在の堤防です。甲斐市の資料によると、信玄堤は修繕を重ねながら引き継がれ、明治時代中期以降の大改修で形が変わっています。当時そのままの姿ではなく、基本の構想が受け継がれた堤だと受け止めています。
明治初期の田んぼと、いまの甲斐市
「いまは宅地でも、昔は田んぼだったはず」という点を、明治期の低湿地と現在の航空写真で見比べました。

左の図は、国土地理院が明治期の旧版地図から低湿地を読み取ったものです。堤の東側の平地は、広い範囲が黄色(田などの低湿地)で塗られ、ところどころに小さな集落だけが白く抜けています。右の現在の航空写真では、同じ範囲に住宅地が広がり、畑も混ざっています。かつての田んぼの多くが、宅地や道路に変わってきたことが分かります。
航空写真では、堤防に沿って樹林の帯が南北に続いて見えます。国土交通省の資料は、信玄が堤防の近くに樹木を植えさせたとしており、いまの景色と重なって見えるのが印象的でした。もちろん、現在の樹林がそのまま当時のものとは限りません。
明治の集落と、想定される浸水
もうひとつ、明治期の土地利用と、国が公表している洪水浸水想定(想定最大規模)も並べてみます。

左の明治期の土地利用では、集落(桃色)が川沿いの細長い帯と、その東の田畑の中に点在しています。右の洪水浸水想定では、堤の東側の広い範囲が、淡い橙色(0.5〜3m)に塗られています。これは、堤が切れたり、想定をこえる大雨が降ったりした場合の、最悪のケースを想定した図です。
信玄堤から続く堤防が、釜無川の水を受け止めてきたことで、その東側に、田んぼ、そして宅地が広がってきました。堤は、いまも暮らしを守り続けている一方で、守られている土地の広さは、そのまま「もしものときに水が来る範囲」でもあります。浸水想定の図は、堤の大切さと、備えを考えるきっかけの両方を教えてくれるように思います。
静的で平面な地図では、見えにくいこと
ここまでの図は、紙の地図や、ふつうの地図サービスの画面だけを眺めていても、気づきにくいものです。
- 川と堤の外の平地との高さの関係は、平面の地図では分かりません。
- 明治期に田んぼだった土地が、いまは宅地になっていることは、現在の地図だけでは見えません。
- 堤の東側の広い範囲が浸水の想定に入っていることは、色を重ねて初めて実感できます。
MAPRISEなら、陰影起伏図、色別標高図、明治期の低湿地や土地利用、洪水浸水想定、航空写真を、レイヤーの切り替えと2分割表示で、同じ場所に並べて確かめられます。数回のクリックで、400年以上前の工夫と、いまの暮らしの関係が見えてくる、というのが今回の実感でした。
信玄公の大きな功績
信玄は、戦国を代表する武将として名を残しました。ただ、信玄堤を地図で見て、あらためて印象に残ったのは、戦に勝つ力の源になった国力を、川と向き合う仕事で築いたことです。そして、その仕事が、450年以上のちの私たちの暮らしまで守り続けているという事実です。
武将として名を遺すことはもとより、後世にも役立つ治水・利水までなしたことが、信玄公の大きな功績だったのではないでしょうか。竜王を訪れる機会があれば、地図で見た土地のかたちを思い出しながら、堤の上を歩いてみてください。
本記事のデータについて
- 本記事の図は、MAPRISEと同じ国土地理院・国土交通省のデータをもとに作成したものです。
- 陰影起伏図は国土地理院の陰影起伏図、色分け標高図は国土地理院の5mメッシュ標高(DEM5A)をもとにした表示です。
- 明治期の低湿地は国土地理院、土地利用分類(明治期)は国土交通省の土地分類調査、洪水浸水想定は国土交通省のハザードマップポータルサイト(想定最大規模)、航空写真は国土地理院の全国最新写真です。
- 地図上の印は、信玄堤の位置を示す目安です。正確な範囲は、甲斐市などの公表資料をご確認ください。
- 標高の差は、5mメッシュ標高から読み取った概数です。実際の高さを保証するものではありません。
- 築造の時期・工期・規模には、資料によって差があります。信玄が築いたとされる点も、伝承を含みます。
- 信玄堤そのものの文化財としての指定状況は、今回確認できませんでした。国史跡に指定されているのは、将棋頭と石積出しを含む御勅使川旧堤防です。
- 洪水浸水想定は参考情報です。実際の防災判断では、自治体が公表するハザードマップもあわせてご確認ください。
おわりに
地図を変えて見ると、同じ土地が違う顔を見せてくれます。今回は、戦国の名将が築いた堤を、標高、明治期の土地、いまの暮らしの3つの視点から眺めました。ほかの名堤や、古い治水の跡も、探してみたいと思います。
ご質問やご意見は、info@maprise.jp までお寄せください。
参考文献
タグ: #信玄堤 #武田信玄 #治水 #利水 #甲斐市 #竜王 #釜無川 #御勅使川 #陰影起伏図 #色別標高図 #明治期の低湿地 #洪水浸水想定 #戦国時代
他言語のシェアテキスト (例外運用向け)
通常は上の Quick share をご利用ください (X 系は日本語、LinkedIn は英語に固定)。下の 4 ペインは「英語記事を X で日本語紹介したい」「日本語記事の LinkedIn 投稿を日本語で出したい」等の例外運用に使えます。各テキストはコピー編集してから投稿することも、そのまま投稿画面を開くこともできます。
📝 武田信玄の治水と信玄堤を地図で読む ― 竜王の地形、明治期の田んぼ、いまの甲斐市を重ねて(MAPRISE) 戦国の「甲斐の虎」武田信玄は、治水・利水でも名を残しました。山梨県甲斐市の信玄堤を、MAPRISEと同じ国土地理院等のデータによる陰影起伏図・色分け標高図・明治期の低湿地・土地利用・洪水浸水想定・航空写真で見比べ、堤が守ってきた土地のかたちを探します。 https://maprise.jp/ja/blog/shingen-zutsumi/ #信玄堤 #武田信玄
🆕 新しいブログ記事を公開しました。 《武田信玄の治水と信玄堤を地図で読む ― 竜王の地形、明治期の田んぼ、いまの甲斐市を重ねて(MAPRISE)》 戦国の「甲斐の虎」武田信玄は、治水・利水でも名を残しました。山梨県甲斐市の信玄堤を、MAPRISEと同じ国土地理院等のデータによる陰影起伏図・色分け標高図・明治期の低湿地・土地利用・洪水浸水想定・航空写真で見比べ、堤が守ってきた土地のかたちを探します。 👉 詳しくはこちら: https://maprise.jp/ja/blog/shingen-zutsumi/
📝 Reading Takeda Shingen's Flood Control and the Shingen Levee on a Map ― Ryuo's Terrain, Meiji-Era Paddies and Kai City Today (MAPRISE) Takeda Shingen, the 'Tiger of Kai', left his mark on flood control and water use as w… https://maprise.jp/en/blog/shingen-zutsumi/ #ShingenLevee #TakedaShingen
🆕 New on the MAPRISE blog. 《Reading Takeda Shingen's Flood Control and the Shingen Levee on a Map ― Ryuo's Terrain, Meiji-Era Paddies and Kai City Today (MAPRISE)》 Takeda Shingen, the 'Tiger of Kai', left his mark on flood control and water use as well as on the battlefield. Using hillshade, colored elevation, Meiji-era wetlands, land use, flood-depth assumptions and aerial photos from the same data MAPRISE uses, we looked at the Shingen Levee in Kai City, Yamanashi. 👉 Read the full post: https://maprise.jp/en/blog/shingen-zutsumi/ #ShingenLevee #TakedaShingen #floodcontrol #wateruse #KaiCity