天正10年(1582年)、黒田官兵衛の献策と伝えられる水攻めで知られる備中高松城。そのとき築かれた堤は、いまも地図の上に残っているのでしょうか。MAPRISEの試験開発中の画面(将来のレイヤーとして実装を見込む色分け等高線図と陰影起伏図)に、高松城跡と蛙ヶ鼻築堤跡をプロットして確かめてみました。
こんにちは、MAPRISE開発チームです。今回は、戦国時代の有名な合戦のひとつ、備中高松城の水攻めを、地図で確かめてみた記事です。
城を水に浸して孤立させる、という大胆な作戦は、黒田官兵衛(黒田孝高)の献策と伝えられています。そのときに築かれた堤は、約440年たった今も、地図の上で見つけられるのでしょうか。MAPRISEで将来実装を見込んでいる色分け等高線図(試験開発中の画面)と陰影起伏図で、探してみました。
備中高松城の水攻めとは
天正10年(1582年)、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)は、毛利方の清水宗治が守る備中高松城(現在の岡山市北区高松)を攻めました。高松城は平地にあるお城ですが、周囲が沼地や湿地で、天然の堀に守られた難攻不落の城だったとされています。
そこで秀吉は、城の周囲を堤で囲み、近くの川の水を引き入れて城を水没させる「水攻め」を選びました。この作戦は黒田官兵衛の献策によると伝えられています。堤はわずか12日ほどで築かれ、梅雨の長雨も重なって、城のまわりは一面の湖のようになったといわれています。
その後、本能寺の変(織田信長の死)の知らせを受けた秀吉は毛利方と和議を結び、清水宗治は城兵の命と引き換えに自刃しました。のちの「中国大返し」につながる、歴史の大きな転換点のひとつです。
築かれた堤の規模は、資料によって幅があり、長さは約2.6〜3km、高さは約5〜7mと説明されています。岡山市の案内では、蛙ヶ鼻(かわずがはな)から門前(もんぜん)まで、長さ約2,600m、高さ約6.5mとされています。
地図に、高松城跡と築堤跡をプロットしてみる
まず、高松城跡と、現在も堤の一部が残るとされる蛙ヶ鼻築堤跡を、地図にプロットしました。以下の図は、MAPRISEの試験開発中の画面です。左が白黒の陰影起伏図、右が標高ごとに色を塗り分けた等高線図です。なお、2mや0.5mといった細かいピッチの色分け等高線図は、まだ公開中のレイヤーではなく、将来のレイヤーとして実装を見込んでいるものです。

等高線図で見ると、高松城跡は青い色の、いちばん低いところにあります。そのまわりには、緑から赤、茶色へと色が変わっていく山が、北と東をぐるりと囲んでいます。標高は4〜5mほどの平らな土地が広がっています。
水を溜めるのに向いた地形だったと考えられます。400年以上前の人々は、この地形を読んで、水攻めの場所を選んだのかもしれません。
陰影起伏図で、蛙ヶ鼻の堤を探す
次に、蛙ヶ鼻築堤跡のあたりを拡大します。

白黒の陰影起伏図では、山の斜面が終わるあたりから、平地の中へ細い線が伸びているのが見えます。点線のように途切れながら、およそ300mほど続いています。周囲はほとんど平らな田畑や住宅地なので、この線は、人の手で盛られた高まりだと考えられます。
400年以上前の堤が、地形の上に痕跡として残っている、ということになります。
色分け等高線図で、高さを読む
では、この堤の高さはどのくらいでしょうか。0.5mごとに色分けした等高線図で見ると、周囲の平地が約4.3m前後なのに対し、堤の跡は約5.3m前後で、差はおよそ1mほどです。国土地理院の5mメッシュ標高から読み取った概数のため、実際の高さを保証するものではありません。
伝えられる築造当時の高さ(約6.5m前後)と比べると、ずいぶん低くなっています。長い年月のあいだに、田畑や道路づくりで削られたり、雨風で崩れたりしたものと考えられます。岡山県の資料にも、現在は堰堤がわずかに残るのみ、と記されています。
それでも、わずか1mほどの高まりが、陰影起伏図でははっきりと線として浮かび上がります。色分け等高線図では、0.5m単位の色の違いとして読み取れます。
高松城跡のまわりも見てみる
最後に、高松城跡のまわりを拡大します。

高松城跡の付近は、色分け等高線図で青〜水色になっていて、周辺の中でもとくに低い土地に位置しています。標高の差はごくわずかでも、色が変わることで、低いほうへ土地が緩やかに傾いている様子が分かります。城が水の溜まりやすい場所にあったことが、この色の違いから読み取れると考えられます。
静的で平面な地図では、なかなか分かりにくいこと
ここまで紹介したことは、紙の地図や、ふつうの地図サービスの画面を眺めているだけでは、なかなか気づきにくいものです。
- 約1mの高まりは、平面の地図では、ほとんど見えません。
- 4mと5mの違いは、色がついていないと、見分けがつきません。
- 「周囲より低い土地」という広がりは、等高線を一本ずつ数えないと実感できません。
MAPRISEでは、色分け等高線図を将来のレイヤーとして実装することで、同じ場所のレイヤーを切り替えるだけで、陰影起伏図、色分け等高線図、通常地図を並べて見比べられるようにしたいと考えています。2分割表示を使えば、同じ位置・同じ縮尺で、2つの地図を左右に並べて見られます。実装できれば、クリックを少し重ねるだけで、400年前の堤の痕跡と、お城が置かれた低地のかたちが見えてくる、という使い方を見込んでいます(現時点では試験開発中です)。
現地に行く前に、MAPRISEで
蛙ヶ鼻築堤跡や高松城跡は、史跡公園として整備されています。現地へ向かう前に、地図の上で下調べをしておくと、歩いたときに「このあたりが堤の跡」「城は一段低いところにあった」と、地形ごと味わえるのではないでしょうか。
お城や古戦場だけでなく、土地の高低差は、現代の土地選びや防災にも直結します。MAPRISEは、不動産の用地評価やデューデリジェンスのための地図サービスですが、歴史のある土地を読むときにも使っていただけたら嬉しいです。
本記事のデータについて
- 本記事の図は、MAPRISEの試験開発中の画面です。公開中のレイヤーとは異なり、将来のレイヤーとして実装を見込んでいるもので、仕様や見た目は変わる可能性があります。
- 図は、MAPRISEと同じ国土地理院のデータをもとに作成したものです。
- 陰影起伏図は国土地理院の陰影起伏図、色分け等高線図は国土地理院の5mメッシュ標高(DEM5A)をもとにした表示です。
- 地図上の高松城跡・蛙ヶ鼻築堤跡の印は、位置を示す目安です。正確な範囲は、岡山市などの公表資料をご確認ください。
- 堤の長さ・高さ・築造期間は、資料によって数値に幅があります。堤の規模については、近年の調査から、従来考えられていたより小規模でも城の周囲を冠水させられたとする見解もあり、今後も研究が進むと考えられます。
- 標高の差は5mメッシュ標高から読み取った概数であり、実際の高さを保証するものではありません。
- 黒田官兵衛の献策については、後世の軍記物などで伝えられている内容で、史実の詳細には諸説あります。
おわりに
地図を変えて見ると、同じ土地が違う顔を見せてくれます。今回は、約440年前の戦いの舞台を、陰影起伏図と色分け等高線図で眺めてみました。ほかの古戦場や城跡でも、試してみたいと思います。
ご質問やご意見は、info@maprise.jp までお寄せください。
参考文献
タグ: #備中高松城 #水攻め #黒田官兵衛 #蛙ヶ鼻築堤跡 #陰影起伏図 #色別標高図 #等高線 #岡山 #戦国時代 #地形
他言語のシェアテキスト (例外運用向け)
通常は上の Quick share をご利用ください (X 系は日本語、LinkedIn は英語に固定)。下の 4 ペインは「英語記事を X で日本語紹介したい」「日本語記事の LinkedIn 投稿を日本語で出したい」等の例外運用に使えます。各テキストはコピー編集してから投稿することも、そのまま投稿画面を開くこともできます。
📝 備中高松城の水攻めの堰は、今も地図で確認できるのか ― 黒田官兵衛の献策から440年、MAPRISEで探してみた 天正10年(1582年)、黒田官兵衛の献策と伝えられる水攻めで知られる備中高松城。そのとき築かれた堤は、いまも地図の上に残っているのでしょうか。MAPRISEの試験開発中の画面(将来のレイヤーとして実装を見込む色分け等高線図と陰影起伏図)に、高松城跡と蛙ヶ鼻築堤跡をプロットして確かめてみました。 https://maprise.jp/ja/blog/bitchu-takamatsu-mizuzeme/ #備中高松城 #水攻め
🆕 新しいブログ記事を公開しました。 《備中高松城の水攻めの堰は、今も地図で確認できるのか ― 黒田官兵衛の献策から440年、MAPRISEで探してみた》 天正10年(1582年)、黒田官兵衛の献策と伝えられる水攻めで知られる備中高松城。そのとき築かれた堤は、いまも地図の上に残っているのでしょうか。MAPRISEの試験開発中の画面(将来のレイヤーとして実装を見込む色分け等高線図と陰影起伏図)に、高松城跡と蛙ヶ鼻築堤跡をプロットして確かめてみました。 👉 詳しくはこちら: https://maprise.jp/ja/blog/bitchu-takamatsu-mizuzeme/
📝 Can We Still See the Dam of the Bitchu Takamatsu Water Attack on a Map? ― Looking for Kuroda Kanbei's Embankment in MAPRISE, 440 Years On Bitchu Takamatsu Castle is famous for the water attack of 1582, said to hav… https://maprise.jp/en/blog/bitchu-takamatsu-mizuzeme/ #BitchuTakamatsuCastle #waterattack
🆕 New on the MAPRISE blog. 《Can We Still See the Dam of the Bitchu Takamatsu Water Attack on a Map? ― Looking for Kuroda Kanbei's Embankment in MAPRISE, 440 Years On》 Bitchu Takamatsu Castle is famous for the water attack of 1582, said to have been proposed by Kuroda Kanbei. Does the embankment built then still show on a map? We plotted the castle site and the Kawazugahana embankment remains on a trial-development screen of MAPRISE (a hillshade and a colored contour map planned as a future layer) to find out. 👉 Read the full post: https://maprise.jp/en/blog/bitchu-takamatsu-mizuzeme/ #BitchuTakamatsuCastle #waterattack #KurodaKanbei #Kawazugahanaembankment #hillshade